『エクス・ポナイトvol.2』レポート最終回





リカちゃんがミスタードーナツで働き始めた今日この頃。リカちゃんの後方右斜め45度からのカットは絵的にありえないと思う今日この頃。前田司郎の接客指導はなかなかのもんだなと感心しつつも、最後に見せる“不敵な笑み”の真意が気にかかる今日この頃。「前田に人形をとりあせてはいけない!」とあの日あの時の惨事が甦ってくる今日この頃。


春菜: プリイーズ。プリイーズ。「スチュワーデスさん。」なんですか?「その服どこで買ったの?」デパートよ「へー」。プリイーズ。プリイーズ。


 (春菜 = スチュワーデスの人形を操って、どうやら飛んでいる飛行機の中を想定しているよう 床を歩き回っている)



春菜: こんにちは、はいこんにちは、今飛行機は真っ直ぐ飛んでいます、右に見えるのがロサンゼルスです、左に見えるのが三樹です「ふーん」、飛行機はこれから三樹に停まります、気をつけてください、シュー


 (春菜 = 三樹のベッドの上に乗り、スチュワーデスを三樹の顔の近くにもって行く)



春菜: 三樹ちゃん、空港の真似して



三樹: 、、



春菜: ねえ、



三樹: 、、



春菜: 三樹ちゃん面白い顔やって



三樹: 、、、



 (三樹 = 起き上がり、スチュワーデスの首をありえない方向にひねる)



春菜: あ、やめて



三樹: どーん



 (三樹 = スチュワーデスを投げた)



春菜: ああ、三樹がスチュワーデス投げたー



三樹: うるさい



春菜: 一美ちゃーん、三樹がスチュワーデス投げたー



三樹: 春菜、ぶつよ



父(声): 三樹、いいかげんにしなさい


 (父 = 来る)



父: 、、



三樹: 、、



父: 春菜のスチュワーデス投げちゃだめって言ったろ



三樹: 投げてないよ



春菜: 投げたよ



三樹: 違うよ、春菜のスチュワーデス、フライトしたんだよ



父: スチュワーデスはそんな速度で飛ばない



三樹: 違うよ飛行機が見えないからスチュワーデスが飛んでるみたいに見えるけど、ほんとの飛行機もスチュワーデスは凄い速さで飛んでるんだよ、本に書いてあったもん



父: 屁理屈言わない



三樹: 違うよ、屁理屈は間違った理屈とかくだらない理屈の事を言うんだよ、私のはちゃんとした理屈だよ



父: じゃあ、理屈も言わない



三樹: 、、


 (父 = 三樹をみる)



父: 、、、



三樹: でも、



父: うん?



三樹: え、、でも、



父: 言い訳するのか



三樹: 、、、、、、


 (三樹 = 鼻をすすりだす)



父: 、、、、



三樹: 、、、、ごめんなさい



父: 、、、、


 (父 = 出て行く)



 (三樹 = 春菜を睨む)



 (春菜 = 出て行く)



春菜(声): 三樹のばーか


ああ、前田司郎『いやむしろわすれて草』はやっぱり傑作だなと思う今日この頃。CM全般を観ていると「まえだくん、大人になったね」と団員のあすかさんからの声が聞こえてきそうな、そんな感じでもあって、今回はこのような悲劇が繰り返されることはないだろう、『いやむしろみいだして草』、前田氏がリカちゃんの才能を。リカちゃんがアゴラ劇場の舞台に立つことも今後有り得るのではないか。でも役者の世界はそんなにあまくない。確かにリカちゃんはいいもの持っているけど、果たして厳しい役者の世界でも同じようにあの笑顔を浮かべることができるだろうか。「小劇場の客はあのおじさんのように優しくないぞ」と危惧する今日この頃。五反田団の中川幸子と女優の安藤玉恵の区別がつかない今日この頃。北島康介が実は人類ではなく魚類だったと発覚して金メダルを剥奪されてしまうのではないかと気が気でない今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。





さてさて、《エクス・ポナイトvol.2》の余韻がいまだ冷めやみませんが、そろそろまとめといきましょう。






『エクス・ポナイトvol.2』





TALK

岡田利規 × 本谷有希子佐々木敦 「リアルなものの行方」
鈴木謙介 × 栗原裕一郎 × 仲俣暁生 + 藤原ちから 「ゼロ年代のJ論壇をめぐって」
古川日出男 × 円城塔佐々木敦 「「小説」をヴァージョンアップする」


●LIVE

d.v.d
フルカワヒデオプラス(古川日出男 + 植野隆司(テニスコーツ)+ イトケン(d.v.d) + 戸塚泰雄)
ヘアスタイリスティックス a.k.a 中原昌也


●DJ

鈴木謙介
仲俣暁生
佐々木敦
スズキロク
ヤノピヤノ
and more???


●日時

2008. 7.25(金)open / start 18:00〔終了〕


●会場

渋谷 O-nest


●主催

HEADZ


《私の感想》



  どこにでもあるもの   その1  








あっ!



その前に、もう一つだけ言わせてください。先日行った写真展に出展されていた山方伸さんのウェブサイトブログが素晴らしいので紹介させてください。



先日の展覧会で僕は山方作品の構図分析みたいなことを主に行いました。山方さんはプロの写真家なので(とは言っても食べていくのは大変みたいですが)、作品は絵画的に分析しても十分に耐える質を持っています。ただそれは山方作品の魅力の一面でしかありません。山方作品には、様々な質の異なる魅力が同居しています。その一端をこのブログを通じてまた違った角度から味わうことができます。



ブログを拝見すると、山方さんはどうやら今、四国〜中国地方を旅しているようで、その道中記となっています。彼の写真はどこか懐かしい匂いがします。日本全国、どこにでもありそうなひなびた街(むら)。それは「かつて私もこういう所に住んでいた」という程キョリが近い懐かしさではないけれども、「かつて私もこういう風景を見たことがある」という、私がみた風景そのものではないけれども見たことがあるという確固とした懐かしさです。



まずフェリーで四国入りするというのがいい。これは四国についてからの足である原付を同伴させていたからですが、そうでなくともこの人はごく自然にフェリーを選択したのではないかという、商業カメラマンとは違った雰囲気というか時間感覚を持っているところに、なんとなく心を許してしまう(実際話すと雰囲気がまた全然違って、芸人のような気さくな方なのですが、、、)。



そして、こういう人だからこそ、なのだけどレヴィ=ストロースを読んでいて、それを紹介してくれるところがなお一層うれしい。ここで引用されているレヴィ=ストロースのメッセージは本質をついていて、学者やテレビのコメンテーターが好んで使いたくなるような一節だけど、そういう人たちが言う場合と山方さんが言う場合とでは意味が全く違ってきます。前者はネタとしてだけれども、山方さんの場合はすでのここで述べられているようなことを自身で経験的に実感していて、「おお、レヴィ=ストロースも同じようなこと言っている」と自然な流れで紹介しているから、これは後追い(パクリ)でもなく真実の言葉として受けとめられるのです(ただ「おお、○○も同じことを言っている」と自分に引きつけてウソを言う人もいるから本当に困ってしまうのですが)。



そしてこの真実の言葉は僕を動かします。読むのを途中で止めていたレヴィ=ストロースをもう一度読もうという気分になります。『ブラジルへの哀愁』はもっておらず『悲しき熱帯』(僕のは講談社学術文庫版だから『悲しき南回帰線』というのだけど)、これをもう一度読んでみようと思っています。「野生の思考」、「ブリコラージュ」、etc. レヴィ=ストロースはネタとして有用性が高いのだけど、そういうのではなく、また、おフランスの大学者にあやかろうというのでもなく、はたまたレヴィ=ストロース自身も思ったであろう、文明大国にはない未開地としてのブラジルにしかないもの、特異なものを得ようというのでもなく、かつて僕もそのような生活をしていたとまでは言わないけれど、ごく自然などこにでもあるようなものとして、『悲しき熱帯』を読んでみようと思っています。



悲しき南回帰線(上) (講談社学術文庫)

悲しき南回帰線(上) (講談社学術文庫)


悲しき南回帰線(下) (講談社学術文庫 (712))

悲しき南回帰線(下) (講談社学術文庫 (712))






さてさて、そろそろ、そろそろ、エクス・ポナイトvol.2》のまとめといきましょう。





《私のまとめ》



  どこにでもあるもの   その2  







エクス・ポナイトvol.2》という奇蹟的なイベントの実現は佐々木敦という特異な才能によるところが大きいです。ただこれはみんな分かっていることですし、佐々木さんにも「そんなことわざわざ言ってもらわなくて構わないから、それよりオマエ達が何かやれ!」と一喝されるでしょうからもう言いません。ですからそれ以外の観点から、出演者であるイトケンさんと藤原ちからさんを紹介することで、この奇蹟的なイベントのまとめに代えたいと思います。




1.“ イトケン ” という才能




イトケンさんというのは、《エクス・ポナイト》の2本柱(音楽と文学)で言えば、「音楽」の人で、ドラム奏者なのですが、何とも不思議な方なのです。



僕が初めてイトケンさんの演奏を聴いたのは今年3月のチェルフィッチュの公演の際に行われた《d.v.d》のライブでした。どうやらリーダーではないようでしたが演奏は目を引くものがあり強烈に印象に残っています。次に観たのは4月末に開催された『DIRECT CONTACT VOL.1』というイベントでのコンサート。《d.v.d》とは全く異なる楽団の一員としてでした。そして今回は《d.v.d》と《古川日出男さんの朗読パフォーマンス》の演奏者をやっていました。それ以外にも僕は観ていませんが、五十嵐祐輔さんのバンドにも参加して演奏されているようです。



確かにドラム奏者に違いはありませんが、それぞれ全然違う演奏で、しかも現代性?実験性がつよい音楽で、なんでこんな色んな演奏ができるのだろう。例えるならば、極端な話、サッカーやって野球やってテニスやってラグビーやって「同じ球技だからノープロブレム」と言っているようなものです。しかも見せつけるようではなく、ごく自然に淡々とやっているところがまた恐ろしい。「こういう人が出てきたんだ」「こういう人が《エクス・ポナイト》を実現させているんだ」と感銘を受けた次第であります。





2.“ 藤原ちから ” のちから




次に《エクス・ポナイト》の2本柱(音楽と文学)のもう1本「文学」の人、藤原ちからさんを紹介します。そもそも《エクス・ポナイト》は《エクス・ポ》という雑誌の関連イベントであることからも察するように「ことば(文字)」で表現している人の力が大きいのです。



古川日出男さんや円城塔さんという作家がいて、岡田利規さんや本谷有希子さんといった劇作家兼小説家がいて、仲俣暁生さんや栗原裕一郎さんといった批評家がいて、鈴木謙介さんという学者らしからぬ学者がいて、戸塚泰雄さんや藤原ちからさんといった編集者兼ライターがいて、こういった人たちの力が折り重なってイベントが実現しています。



ここで《エクス・ポナイト》の成功というのは、例えば東京ドームを満員にしたとか、そういう類いの成功ではないこと、また実験性もかなり強いイベントであることから、あの日あの場に居合わせた人でも「???」という人が少なからずいたであろうこと、そうでありながらも、確かな手応え、感触があったという意味での成功であると説明しておきましょう。



さて《エクス・ポ》という雑誌がたった16ページしかないというところに話は遡るのですが、これをどう評価するのか。《エクス・ポ》だけに拘る必要はありません。《エクス・ポナイト》を実現させた人々が関連している雑誌(ミニコミ)を僕の手元にあるだけでも紹介しておきましょう。



『nu』『REVIEW HOUSE』『テルテルポーズ』『アラザル』、『ESPRESSO 』、『路字』

沢山あります。それぞれを読んでみると似通っているようで、また内容的には『STUDIO VOICE』『SWITCH』といった比較的名の通ったカルチャー雑誌と似ていると言えばその通りです。雨後の筍、ドングリの背比べと評する人もいることでしょう。



ただ、もう少ししっかりと観察せねばなりません。個々の違いも明らかにあります。編集スタイル、特に個々のボリューム(ページ数)はまちまちです。『nu』のインタビュー記事などは逆に恐ろしく長かったりします。なぜこのようなアンバランスな違いが出てくるのでしょうか。それはズバリ言えば、これらの雑誌は「表現者の表現欲がストレートに現れているから」です。



発行部数はいくらを狙って、定価はいくらで、広告収入をどれぐらい見込んで、ページ数はどのくらいで、執筆陣の人選をどうして、ヴィジュアルをどのくらい取り入れて、うんたらかんたら、、、。こういうアプローチを一切とっていないということです。にも拘わらず、きっちりとした体裁に仕上がり、読みごたえのある雑誌として仕上がっているのは、これは作り手に真の実力があるからです。その極めつけが藤原ちからさんが編集した『テルテルポーズ』でしょうか。



先に「きっちりとした体裁」と断りましたが、『テルテルポーズ』はわずか10枚程の紙切れがクリアファイルに納められただけの体裁で、これは大手出版社の基準で言えば有り得ないことでしょう。でも、表紙の絵はすばらしいし、文章もちゃんと読ませてくれる質を達成しているので「きっちりとした体裁」に仕上がっていると言って問題ないでしょう。むしろ、この点に着目したい。



編集後記を読んでみると、この雑誌ができるプロセスはほとんど突貫工事のようで、しかもメイン記事が没になるというアクシデントもあり、もう踏んだり蹴ったりなのですが、それでもわずか2週間程で仕上げてしまっているのです。



確かに「どこにでもある」、「誰にでもできる」と言えば、そうかもしれません。どこかの学生がこれを見ても「すげー!」とびっくり仰天することはまずないでしょう。「これならオレだってできる」と思うでしょうし、実際できるでしょう。



ただ表現欲の純度からすれば、これはやはり学生にはできないのです。学生の表現欲というのは「誰かに認められたい」や「誰々の作品が格好いいから僕もそうしたい」というのが大半ですから。『テルテルポーズ』は、こういった野心がいい意味で枯れてしまったアラサーだからこそ為せる技と言えるでしょう。



僕は、とくに藤原ちからさんを深く知っている訳ではありませんが、ブログぐらいは読んでいるし、先日たまたま藤原さんを知る人と話していてこんな会話があったのです。



藤原君って変わってるでしょ。いきなりFC東京のことを熱弁したり、文学について語ったりしておかしいでしょ。つまりね、彼はパワーをコントロールしきれてないんだよ。肩書きは編集者だけど、たぶん彼は自分で書かないと、そうでもして発散しないと自らの力を抑制するなんて無理なんだよ。

この会話が6月末のこと。それからわずか1ヶ月後に、本当に雑誌が出来ていて、そして藤原さんはその中で小説を書いていたのです。もちろん、この会話を藤原さん当人は知ることなく。



この衝撃の事実、僕と歳もほとんど同じ人のこの突飛な行動に思いっきりやられました。ショックを受けました。「オレも頑張らんといかんな」って。ただ、いくらロスジェネといっても藤原ちからさんのような純粋な表現欲を保持している人は希ですし、それをどこまで維持できるかと言えばなおさら難しい問題です。アラサーともなればやはり「お金も大事ですから」。



僕だって書店員では最低限の生活しか確保されていませんし、金銭面以上に時間のやり繰りが難しいのです。書店勤めして2年が経ち、ここに来てやっと出版社の人や編集者、作家といった知り合いが出来てきましたし、書きたいことは山ほどあるので、そういう人たちに声を掛けてもらえるぐらい、もっと旺盛に執筆活動を展開していくべきなのですが、時間と体力のやり繰りが全然うまく行ってません。ストレスと焦りだけが募るばかりです。





(ちょっとマズイ方向に筆が逸れ出したな。。。)





ともあれ《エクス・ポナイト》に大きな刺激を受け、イトケンさんや藤原ちからさんの活躍を観てヒントを得た今日この頃。《エクス・ポナイト》のまとめなのに、全然関係ない前田司郎(演劇)や山方伸(写真)について長々と書きなぐってしまう今日この頃。藤原さんのFC東京についての熱弁よりも質が悪いんじゃないかオレと思う今日この頃。《エクス・ポナイト》のまとめになっていない今日この頃。どう考えてもおかしいだろうオレと思う今日この頃。



でも、だからこそ、何とかするだろうと、自分自身に期待している今日この頃でもあります。(終)


ご清聴ありがとうございました。








※ 古谷利裕フェア、やってます!!

阪根タイガース


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