パラドックス定数『東京裁判』
《演劇》パラドックス定数
タイトル: 『東京裁判』
作・演出: 野木萌葱
■■出演
西原誠吾 井内勇希 植村宏司
今里真 小野ゆたか
■■スタッフ
照明:伊藤泰行 PA:田中亮大
舞台監督:西川也寸志+箱馬研究所
チラシ写真:記憶屋「廃墟」 撮影:渡辺竜太
販促:副島千尋
制作:たけいけいこ 今井由紀
当日運営:岡本朋子
■■日程・場所
2015年10月22日(木)〜 25日(日)@俳優座劇場
《 感想文:これは演劇である! 》
素晴らしい作品だった。素晴らしいにも色々あるけれど、どういうふうに素晴らしいかと言うと、「この作品は何だ?」と問われた時に、「これは演劇である!」とはっきりと言えるという点で素晴らしかった。
パラドックス定数という劇団は、まだ2作目の観劇だけど、けっこう期待していて、「この作品はどういう作品なんだろう?」って、事前にいろいろ想像して、また「東京裁判」の本も読んで予習してから観劇した。
まず想像したのは「東京裁判」の資料を徹底的に調べ尽くした、歴史学者や政治学者を唸らせるような作品。しかし、確かにしっかりと調べて押さえるべき点は押さえていたけれども、その類の作品ではなかった。
次に想像したのは「東京裁判」というテーマは非常に政治性が強いので、何かしら政治的なメッセージや思想を盛り込んで、それを演劇というメディアを通して、表現する、アピールするような作品。しかしまた、その類の作品でもなかった。
このように予想はすべてはずれたので、「この作品は何だ?」と問いかけながら観劇していたのだけど、「ああ、この作品は演劇であって、演劇以外の何物でもない」と感じられた。
舞台上には、大きな机が1つと椅子が5つ。あとは弁護人を演じる俳優が5名のみ。裁判なので当然、裁判官や検察官がいるのだけど、彼らは舞台上にはいない。名前が呼ばれたり、彼らの発言が舞台上にいる通訳者を通して発せられることで、暗黙の了解として存在している。
連合国側の検察官は11名、アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランス、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、フィリピン。それぞれの思惑や、国益、政治体制が異なるので、この裁判に求めていることが各々異なる。
あと通訳や文書の誤訳の問題もあって、各国の足並みが揃わないというか、キャラが立ってくる。キーナン(アメリカ)、カー(イギリス)あたりが主な相手でよく出てきて、このあたりとのやり取りがまず本線になってくる。
しかし、それ以外にも、例えば、判事のザリヤノフ(ソ連)が言葉が分からなくて居眠りしたり、判事団が分裂して、パール判事(インド)が際立ってきたりと、舞台上に見えないところで、何かしら不調和な動きも出てくる。
舞台上では、5名の弁護人が検察官に抗戦して、感情を露わにしたり、黙ったり、作戦を練ったり、持論や過去を語ったり。この5名が何かしらやっていて、目に見えないものも含めて事態が進展してゆく様相に、「ああ、これは演劇だ!」とつくづく思わされた。
例えば、THE演劇といえば、シェイクスピアがあげられると思うけど、今となっては巨匠、高尚な作品として受容されている。目下、シェイクスピアの描く世界がいかに良くできているか、その謎をいかに解き明かすかという所で、劇作家なり演出家なりが競い合っているように思う。
しかし、シェイクスピアが重要なのは「お前、シェイクスピアのことをまだまだ全然わかってないな!」というようなマニアックな観点ではなく、もっとプリミティブな問題ではないか。
つまり、「演劇ってどうやって生まれるの?」という問いに対しての答えがシェイクスピアであり、あの当時の政治状況がシェイクスピアを生み出したのであり、演劇を生み出したのではないかと。
政治状況と言ってしまうとすごく社会的なもの、人工物のように感じられるけれども、そういった政治状況も含めた「運命/意志」の対立の構図が支配する世界。
劇場というのは世界であって、この世界というのは、人の手によるというよりも、もっと大いなる自然な営み、宇宙的な運行によるもの。つまり劇場とは宇宙であって、演劇とは宇宙の運行であると。
改めて言えば、シェイクスピアの作品はすごく宇宙を感じる。バロックの世界観がそうだったということかもしれないけれども、これは現代の演劇であっても変わらず連綿と続いていることではないか。
パラドックス定数の『東京裁判』を観劇しているとき、極端な話、宇宙が見えた。舞台上で繰り広げられることだけでなく、目に見えない広がりと奥行き、すなわち宇宙が、宇宙の動きが見えた。
ややオカルト的な話になってしまったけれども、いやいや演劇って本当にこういうことだと思う。そういった世界観、宇宙観を持っていないと演劇はできない。
今回、パラドックス定数を観ていてうれしかったのは、『東京裁判』という作品がたまたま「宇宙」を感じさせる作品だったのではなく、この劇団は確信犯でやっていると感じられたこと。少なくとも作・演出の野木萌葱さんは絶対確信犯!!
あと面白いのは、シェイクスピア作品の運行形態とパラドックス定数(『東京裁判』)の運行形態が異なるということ。
「シェイクスピア=バロック」と括ってしまっていいのか分からないけど、パラドックス定数を研究すればバロックと異なる現代ならではの世界観、宇宙観が抽出できるのではないか?
月並みな言い方かもしれないけれど、『東京裁判』という演劇作品は、どこかロックバンドのライブパフォーマンスを観ているようでもあったのだ。
面白かった☆
いい劇団を見つけた!
また観に行こう☆
ありがとうございました!!
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パラドックス定数次回公演
pit北/区域 閉館公演
『東京裁判』
2015年12月22日(火)〜31日(木)@ pit北/区域
※ 5名の俳優を上から俯瞰できる劇場だそうです。対面式の舞台よりもさらに作品世界を堪能できると思います。是非!!
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